管理人のフォトアルバム vol.10


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筥崎宮放生会2017

2017年9月12日、筥崎宮仲秋大祭「放生会」に行ってまいりました。写真取材を通じて福岡の町の歴史を感じることが出来ましたので、写真と解説を交えてご紹介します。

筥崎宮の所在地
〒812-0053 福岡市東区箱崎1-22-1

アクセス
【福岡市営地下鉄】 箱崎宮前駅下車→徒歩3分(1番出口)
【JR鹿児島本線】 箱崎駅下車→徒歩8分
【西鉄バス】 箱崎下車→徒歩3分
【JR九州バス】 箱崎1丁目下車→徒歩2分

案内図

御由緒
まずは、筥崎宮の御由緒から知っていただくと写真が分かりやすくなりますので、簡単に記載しておきます。
筥崎宮は筥崎八幡宮とも称し、宇佐神宮・石清水八幡宮とともに日本三大八幡宮に数えられます。
御祭神は筑紫国蚊田(かだ)の里、現在の福岡県宇美町にお生まれになられた応神天皇(第十五代天皇)を主祭神として、神功皇后(じんぐうこうごう)、玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)がお祀りされています。
古録によれば、平安時代の中頃である延喜21年(921年)、「醍醐天皇」が神勅により「敵国降伏」の宸筆を下賜され、この地に壮麗な御社殿を建立し、延長元年(923年)に筑前大分宮(穂波宮)より遷座したことになっていますが、創建時期については諸説あり、定かではありません。
創建後は祈りの場として篤い崇敬を集めるとともに、海外との交流の門戸として重要な役割を果たしました。
鎌倉中期、蒙古襲来(元寇)のおり、俗に云う神風が吹き、未曾有の困難に打ち勝ったことから、厄除・勝運の神として有名になりました。
後世には、「足利尊氏・大内義隆・小早川隆景・豊臣秀吉」など歴史に名だたる武将が参詣し、武功・文教にすぐれた八幡大神の御神徳を仰ぎ、筥崎宮は隆盛を辿りました。
江戸時代には、福岡藩初代藩主「黒田長政」より歴代藩主も崇敬を怠ることはありませんでした。
明治以降は、近代国家を目指す日本とともに有り、明治18年(1885年)には官幣中社に、大正3年(1914年)には官幣大社に社格を進められ、近年では全国より崇敬を集めるとともに、「玉取(たませせり)祭」や「放生会(ほうじょうや)大祭」などの福博の四季を彩る杜(もり)として広く親しまれています。

放生会案内

筥崎宮案内

放生会のおはじきに関するお知らせ

筥崎宮の放生会にとって、「おはじき」とは「はじく」という意味が込められており、私たちがよく知っている指をはじいて遊ぶ意味もありますが、さらに「厄をはじく」という一種の縁起担ぎの意味も込められています。遊び道具というよりは、お守り的な縁起物として販売されているものです。
この「おはじき」は、10円玉サイズの大きさで、土をそのまま素焼きして、色をつけられています。博多人形師が一つ一つ丁寧に手作りされている貴重な縁起物です。
しかし、争奪戦が凄まじく、定価の5倍から10倍でネットオークションに出品されることもあります。
お祭り初日の朝8時に販売されますが、前日の夜21時ごろから多くの人が並び始め、徹夜組が出る有様で、神社周辺で徹夜組が争ったり、騒音や駐車待ちの車に周辺住民から苦情が出たりする始末でした。
その他にも制作者の高齢化やネットオークションでの販売も危惧して、2017年からはこの「放生会おはじき」は販売中止となっています。
私もやむを得ない措置だと思います。勇壮なお祭りの多い福岡にあっては、昔ながらの縁日の風情が残るお祭りなので、神様の縁起物を奪い合うなどしても何の御利益も得られません。神様の罰が当たったという事でしょうね。

何!早く本題に入れってか?(^-^;


それでは、筥崎宮の重要文化財をご紹介します。

①、一之鳥居(国指定重要文化財)

本殿に一番近い鳥居が一之鳥居で、参道沿いに二之鳥居があり、さらにその先には大鳥居があります。また、さらにその先には「お潮井浜」があり、そこにも赤い鳥居があります。
一之鳥居は、慶長14年(1609)に初代藩主「黒田長政」が建立したとその銘にあります。この鳥居の柱は三段に切れ、下肥りに台石に続いています。笠木島木(かさぎしまぎ)は1つの石材で造られ、先端が反り上がり、貫と笠木の長さが同じ異色の鳥居で、「筥崎鳥居」と呼ばれています。

 

②、蒙古軍船の碇石(福岡県指定重要文化財)

昭和15年(1940年)に博多港中央埠頭の北東で発見され、蒙古軍船の碇として使用されたと伝わっています。長さ2mを超える大きな石で、推定重量は250kgです。

 

③、亀山上皇尊像奉安殿(福岡県指定重要文化財)

明治37年(1904年)、福岡市博多区東公園内に建立された「亀山上皇」の銅像の原型となった、大きさ約6mの御尊像(木彫像)です。福岡県出身の彫刻家「山崎朝雲」が制作し、九州国立博物館に一時保管されていましたが、平成23年(2011年)の奉安殿竣工に伴い、筥崎宮へ移送されました。(拝観時間は毎日9:00~16:00)
「亀山上皇」は「後嵯峨天皇」の第七皇子で、鎌倉時代の正元元年(1260年)11月26日に第90代天皇となり、文永11年(1274年)1月に皇太子「世仁親王」に譲位して院政を開始しました。
文永11年(1274年)の「文永の役」、弘安4年(1281年)の「弘安の役」、2度に渡る元寇(蒙古襲来)を受け、伊勢神宮と熊野三山で祈願するなど積極的な活動を行いました。また、蒙古襲来により炎上した「筥崎宮」社殿の再興にあたり、「敵国降伏」の宸筆を納めました。

 

④、楼門(国指定重要文化財)

文禄3年(1594年)に筑前領主「小早川隆景」が建立したもので、三間一戸入母屋造・檜皮葺です。建坪は12坪ですが、三手先組といわれる枡組によって支えら、83坪余りの雄大な屋根を有した豪壮な楼門です。「敵国降伏」の扁額を掲げていることから「伏敵門」とも呼ばれています。扉の太閤桐の紋様彫刻は、江戸時代の名匠「左甚五郎」の作と伝われています。

 

⑤、本殿・拝殿(国指定重要文化財)

本殿は、総建坪46坪に及ぶ建物で、九間社流造・漆塗・檜皮葺、左右には車寄せがあります。拝殿は、切妻造・檜皮葺で、梁組が2重になっている素木のままの端正な建物です。
「醍醐天皇」の時代、延喜21年(921年)に大宰少弐「藤原真材朝臣」が、神のお告げにより神殿を造営し、長徳元年(995年)に大宰大弐「藤原有国」が回廊を造営したと伝われています。しかし、元寇の戦火・兵乱などにより幾度かの興廃があり、現存する本殿・拝殿は、天文15年(1546年)に大宰大弐「大内義隆」が建立したものです。(放生会・さつき大祭期間中以外、楼門の中に入ることは出来ません。)

 

⑥、千利休奉納の石燈籠(国指定重要文化財)

天正15年(1587年)、太閤秀吉が九州平定後、筥崎宮に滞陣して博多町割りなどを行いました。 その時、太閤秀吉が催した箱崎茶会に随行した「千利休」による奉納と伝われています。 南北朝時代、観応元年(1350年)の銘があります。
テレビから仕入れたエピソードですが、石燈籠の一部が欠けているのは、欲張りな太閤秀吉が持ち帰ることを懸念し、「千利休」自らが欠かしたそうです。(楼門の中にあるため、拝観は放生会・さつき大祭期間中のみです。)


境内にあるその他のパワースポットをご紹介します。

①、さざれ石

一之鳥居(国指定重要文化財)をくぐって、直ぐ右手奥に進むと「さざれ石」があります。碑文では「岐阜県と滋賀県の境にある伊吹山の麓に産し、学名を石灰質礫岩と云い、永年の間に石灰質が雨水で溶けて生じた粘着力の強い乳状液が、小石を凝結して次第に巨岩となり苔むす。」と説明されています。国歌「君が代」にうたわれている実在する石です。

 

②、銭洗御神水

「さざれ石」のすぐ近く、手水舎に併設する形で「銭洗御神水」があります。金銭を籠(てぼ)に入れて、御神水で洗い清めて心清らかに福寿開運を念じます。金銭を洗い清めたお金は、持ち帰って使用することで世の中を巡り、福を授かると信じられています。
私もやってみましたが、そのままお賽銭として本殿の賽銭箱に入れちゃいました。(笑)

 

③、お潮井浜の真砂

「銭洗御神水」の直ぐ横にあります。「お潮井取り(お潮井汲み)」は、博多に古くから伝わる風習です。
「お潮井」とは、筥崎宮前の海岸(箱崎浜)の真砂(まさご)のことで、この砂が外出時に事故やけがなどから身を清め、災いを払うものとして使われています。筥崎宮の年中行事として、春3月と秋9月、二度の社日祭で「お潮井取り」の行事があります。今回も9月18日が「お潮井取り」でしたが、行く予定はありませんでした。
境内に置かれている「お潮井浜の真砂」には、厄除開運の祈願がされています。また、「博多祇園山笠」で行われる「お汐井取り」においても、同じくこの「お潮井浜の真砂」を取る行事があります。

 

④、湧出石

「お潮井浜の真砂」の直ぐ横にあります。筥崎宮公認のパワースポットとして、境内でも紹介されているのが、この「湧出石(わきでいし)」です。
箱崎浜の真砂が敷かれる境内の地面からちょこんと顔をのぞかせる、なんとも不思議な石で、古くは天変地異を占ったのだとか。この石を撫でると「運が湧く」という開運招福の招石で、国に一大事がある時には地上に姿を現すという言い伝えがあります。
私にはただの浸食された丸石にしか見えなかったので、石は撮影しませんでした。(笑)

 

⑤、御神木「筥松」

楼門の直ぐ右手にある朱塗りの玉垣に護られた松です。筥崎宮を含む八幡神社の御祭神「応神天皇」は、日本史の中で実在が確かめられる最初の天皇です。「神功皇后」はその母で、夫の「仲哀天皇」が九州征伐に向かう際に同行し、「仲哀天皇」が現在の福岡市東区にある「香椎宮」で崩御したため、「応神天皇」を妊娠したまま、御神託に従い三韓征伐を執り行ったと伝われています。
凱旋後は、福岡県宇美町の「宇美八幡宮」で「応神天皇」を産み、志免町で「おしめ」を替えたと伝われています。そして、産後の胞衣(えな)を筥に納め、その印として植えられたのがこの「筥松」です。
地名の「箱崎」はこれに由来し、「筥」の字では畏れ多いと「箱」の字を当てたとされています。しかし、福岡市東区には、「筥松」の地名がありますし、公共施設や病院名などに「筥松」の名が付けられています。筥崎宮にほど近い社家町に限定されての由来だと思います。


これから皆さんと一緒に筥崎宮参拝と放生会を楽しみましょう。

①、お潮井浜(箱崎浜)

国道三号線からお潮井浜までの敷地は、福岡県神社庁の敷地となっており日頃は門が閉じられて入れないようです。

 

②、大鳥居(福岡市指定文化財)

お潮井浜から国道三号線を挟んだ先に大鳥居があります。大鳥居の左にある高燈籠も福岡市指定文化財です。

 

③、参道

参道は800m程の直線で、途中、二之鳥居・一之鳥居(国指定重要文化財)を経て、楼門まで続いています。お祭り期間中は、この長い参道にずらりと露店が並び、縁日の風情を楽しむことが出来ます。昔ながらの金魚すくいや射的もあるようです。
福岡空港を発着する飛行機は、この箱崎上空を低空で飛行しています。飛行機をご利用される方は、走行中の自動車や歩行者などが見えますから覚えておくと面白いと思います。

 

④、境内を散策してみましょう。

これまでに紹介していない見どころが他にも沢山あります。

元寇歌曲碑①

元寇歌曲碑②

元寇防塁

夫婦石と唐船塔

絵馬殿

社務所①

社務所②

筥松と社務所

境内

東末社①

東末社②

東末社③

西末社①

西末社②

西末社③

 

⑤、回廊の外側を一周して、裏の方も見てみましょう。

私は、この裏からの風情がとても好きです。神社の風格を最も強く感じます。

 

⑥、御神幸の様子を見てみましょう。

頓宮への御下り神事です。御上り神事は9月14日です。この神事は2年に一度しか開催されません。ですから神事のない年は、専ら縁日の風情を楽しむお祭りですね。演舞台が設置されているので、神事以外のイベントは毎年開催されているようです。

 

⑦、最後に箱崎の街の様子を撮影しながら帰りました。

 

如何でしたでしょうか。
時間の都合で、お祭りのクライマックスまで滞在できませんでした。最後の方の写真は、帰る途中で箱崎の旧商店街を撮影したものです。人が来始める時間に帰ることになってしまいました。
歴史で、蒙古襲来・元寇という言葉は頭の片隅にありましたが、詳しくは分かりませんでした。元寇防塁なども中学校の遠足で見学に行ったはずなのに何も知りませんでした。
この取材を通じて、元寇による日本侵攻について詳しく知ることが出来ました。現在の日本を取り巻く環境を考えると、筥崎宮の「敵国降伏」の扁額を拝みたくなりますね。


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