明治日本の産業革命遺産【エリア8 八幡】



今回は、第八弾として「八幡」がテーマです。いよいよ最終回となります。例によって、年表を見ながら読んでいくと分かりやすいと思うので、年表をリンクしておきます。
「八幡」は、「やはた」と読みます。元々は「やわた」が正しいそうですが、地元では「やわた」と読む人は誰一人いません。「三池」と同様、若い方はあまりご存知ないかも知れませんね。「八幡」は、現在の福岡県北九州市の地名です。1963年(昭和38年)に小倉市・門司市・戸畑市・若松市・八幡市が合併し、北九州市八幡区となって消滅しました。1974年(昭和49年)に八幡東区と八幡西区へ分割され、今回紹介する地域区分としては、主に「八幡東区」になります。
「エリア6 三池」では、蒸気船などの動力源となる炭鉱を中心に見ていきました。明治時代になり鉄の需要が益々高まっていき、日本の産業革命により鉄を使った武器や機械工具、電気材料などが生産されるようになっていきます。1882年(明治15年)に東京・銀座に灯された日本初の電灯(アーク灯)には、連日大勢の人が見物に訪れました。初めての発電所が登場し、電灯は東京を中心に急速に普及します。さらにエレベーターや電車など、電気は動力用としても利用され、次々と発電所が建設されていきます。
明治政府は、国策として殖産興業を推進し、率先して新しい産業を興すべく官営模範工場を創設しました。八幡製鉄所・造幣局・富岡製糸場は、日本三大官営工場とも称されています。

エリア8 八幡
官営八幡製鐵所
明治20年代に急増した鉄鋼需要を補うため、1897年(明治30年)、筑豊炭田に隣接し誘致活動が活発だった八幡に製鉄所を設置することが決定します。ドイツの「グーテホフヌンクスヒュッテ」(GHH)社に設計を依頼し、技術指導を受けました。4年の建設期間を経て、1901年(明治34年)に東田第一高炉に火入れが行われ稼働が開始します。しかし、トラブルや資金難により翌1902年(明治35年)には休止を余儀なくされたため、釜石田中製鉄所で日本初のコークスによる銑鉄生産を成功させた「野呂景義」に再建が託されます。野呂は高炉の改良と新たなコークス炉の建設を行い、1904年(明治37年)から本格稼働を再開しました。これにより、日本の高炉操業技術が確立され、日本の産業近代化(重工業化)が達成されます。製鐵所は1930年代にかけて拡張され、周辺にも多くの産業が集積し、北九州工業地帯の主要拠点となっていきます。
残念ながら、事業所内にあり秘密保持に懸念があることや老朽化していることから、いずれの施設も見学は出来ません。

八幡製鐵所地図

皿倉山から望む八幡製鐵所(昼景)

皿倉山から望む八幡製鐵所(夜景)
※新日本三大夜景

八幡製鐵所(東田第一高炉跡)

八幡製鐵所 旧本事務所
1899年(明治32年)に建設された赤煉瓦組積造の建物です。製鐵所の技術者が設計しています。骨組はクイーンポストトラス組みで、煉瓦積みはイギリス式の一方、屋根は和式の瓦葺です。1922年(大正11年)まで本事務所として使用された後、鉄鋼の研究所として使用されました。見学不可ですが、2015年(平成27年)に眺望スペースが設けられ、遠景を見ることが可能となりました。世界遺産登録後から個人利用に限り写真撮影が認められています。

眺望スペースからの旧本事務所

八幡製鐵所 修繕工場
1900年(明治33年)に建設された鉄骨造の建物です。設計及び使用鋼材はGHH社によるものです。現存する日本国内最古の鉄骨建築物で、3回に亘り増築されましたが、使用された鋼材がドイツ製から次第に日本製へと変わり、日本の製鉄技術が発展する過程を示すものとなっています。現在は「新日鉄住金」の主要な協力会社の一つである「山九」により、製鐵所で使用する機械の修繕や部材の製作が行われ、現在も稼働中です。よって見学は出来ません。

八幡製鐵所 旧鍛冶工場
1900年(明治33年)に建設された鉄骨造の建物です。設計及び使用鋼材はGHH社によるものです。製鐵所で使用する鍛造品の製造が行われ、大正時代に現在の場所に移転してからは製品試験所として使用されました。現在は、創業時からの資料を保管する史料室となっています。残念ながら、こちらも見学は出来ません。

遠賀川水源地ポンプ室
鉄鋼生産に必要な工業用水を遠賀川上流から取水し八幡製鐵所に送水する施設で、1910年(明治43年)に建設されました。鉄骨骨組で、イギリス式の煉瓦積みとなっています。操業開始時は蒸気ポンプとボイラーが使用されていましたが、現在は電気ポンプになっています。ボイラー室・ポンプ室の建屋と沈砂池が現存し、現在も使用されています。内部は見学出来ませんが、外観は最短数十mの距離から見学出来ます。

※写真の転載は許可を要するため下記のリンクから閲覧ください。

世界遺産のある街・北九州市

アクセス

皿倉山展望台
(八幡駅から帆柱ケーブル山麓駅へタクシーで5分、展望台駅へ6分)
※土日祝日は、八幡駅から無料シャトルバス運行。(所要10分)
※更に展望台駅から山上駅までスロープカー運行。(所要3分)

東田第一高炉史跡広場
(スペースワールド駅から徒歩2分)

官営八幡製鐵所旧本事務所眺望スペース
(スペースワールド駅から徒歩10分)

遠賀川水源地ポンプ室
(筑豊電鉄希望が丘高校前駅から徒歩8分)
※因みに私が居住する中間市に所在しています。

現在、何れも民間企業で設備稼働しており見学は出来ませんし、写真掲載も厳しく制限されています。あまり詳しく紹介できないのが残念です。
私の父は、八幡製鐵所に勤務していました。生前、世界遺産に登録された修繕工場に配属されていたことがあると聞いています。八幡製鐵所内部の写真も多数所蔵していますし、非売品で社員しか持っていない「八幡製鐵所八十年史」も所蔵しています。実に分厚い本が4巻セットになっています。これを読めば、かなり詳しいことが分かると思いますが、もう少し歳を取ってからにします。

如何でしたでしょうか。見学できる部分が少ないので、前回紹介した「三池」と第五回に紹介した「佐賀」をセットにして回るのがお勧めです。何れも九州自動車道の沿線から枝分かれする格好になるので、レンタカーで一気に回ると良いでしょう。最後に帆柱ケーブルで皿倉山に登り、夜景を楽しんでください。とても美しい夜景です。
北九州には、製鐵所の街らしい「ねじチョコ」というユニークなお土産があります。このボルトとナット、ちゃんと締まります。

ねじチョコ

バックナンバー

序 章:明治日本の産業革命遺産【序章】

第1回:    〃      【エリア1 萩】

第2回:    〃    【エリア2 鹿児島】

第3回:    〃     【エリア3韮山】

第4回:    〃     【エリア4 釜石】

第5回:    〃     【エリア5 佐賀】

第6回:    〃     【エリア6 長崎】

第7回:    〃     【エリア7 三池】

第8回:    〃     【エリア8 八幡】



明治日本の産業革命遺産【エリア8 八幡】” に2件のコメントがあります

  1. 4年の建設期間を経て、1901年(明治34年)に東田第一高炉に火入れが行われ稼働が開始します。しかし、トラブルや資金難により翌1902年(明治31年)には休止を余儀なくされたため、釜石田中製鉄所で日本初のコークスによる銑鉄生産を成功させた「野呂景義」に再建が託されます。野呂は高炉の改良と新たなコークス炉の建設を行い、1904年(明治33年)から本格稼働を再開しました。

    以下年号の間違いと思われます。
    1902年(明治31年)⇒ 1902年(明治35年)
    1904年(明治33年)⇒ 1904年(明治37年)

    1. 返信が遅くなり、誠に申し訳ございません。
      私のつたないブログを閲覧いただきありがとうございます。また、年号の誤り、ご指摘ありがとうございます。早速修正させていただきます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です