明治日本の産業革命遺産【エリア7 三池】



今回は、第七弾として「三池」がテーマです。例によって、年表を見ながら読んでいくと分かりやすいと思うので、年表をリンクしておきます。
「三池」は、若い方はあまりご存知ないかも知れませんね。「三池」は、現在の福岡県大牟田市の地名です。「三池炭鉱」は、日本最大の出炭量を誇り、熊本県荒尾市からも坑道が繋がっていました。その石炭を積み出すために整備されたのが「三池港」です。
「エリア6 長崎」では、造船を中心に見ていきました。蒸気船の建造に伴い、燃料となる石炭の需要が高まってきたこともお伝えしましたが、蒸気船に限らず、蒸気を原動力とする蒸気機関車なども発展していくことになります。
京都で王政復古の大号令が布告された1868年(慶応3年)、幕府はアメリカに江戸・横浜間の鉄道設営免許を与えます。この免許はアメリカ側に経営権がある「外国管轄方式」というものでした。明治になってから明治政府は、「幕府側の署名は、外交的権限を有しないもの」として却下しています。その後、改めて新政府内部で鉄道建設について検討が行われ、1869年(明治2年)に自国管轄方式によって、新橋・横浜間の鉄道建設を決めました。当時の日本では自力での建設は無理なので、技術や資金を援助する国としてイギリスを選定しました。これは鉄道発祥国イギリスの技術力を評価したことと、日本の鉄道について建設的な提言を行っていた駐日公使「ハリー・パークス」の存在も大きかったと言えます。1870年(明治3年)には、イギリスから「エドモンド・モレル」が建築師長に着任して本格的工事が始まっています。日本側では、1871年(明治4年)に「井上勝」(日本の鉄道の父)が、鉱山頭兼鉄道頭に就任して建設に携わります。こうして、日本の鉄道は1872年(明治5年)に新橋・横浜間で開業しています。その後、日本全国で鉄道が敷設されて行き、1893年(明治26年)にイギリス人技術者の指揮の下、日本初の国産機関車が誕生しています。
蒸気を原動力とする機械が増えるにつれて、そのエネルギーの元となる石炭の需要も益々伸びていきます。また、機械や線路を作るための鉄も大量に必要になっていきます。

エリア7 三池
三池炭鉱、三池港
1873年に操業開始し、明治政府から1889年に三井に移管され、1997年に閉山した炭鉱です。1894年「團琢磨」は、宮原と万田での新坑掘削を提言し、開削につながっています。三池港は、その石炭の積出港として整備されました。

三池炭鉱、三池港配置図

三池炭鉱三川抗

三池炭鉱 宮原坑
1898年に第一竪坑、1901年に第二竪坑が完成しました。第二竪坑の櫓とデビーポンプ室の壁の一部が現存し、国の史跡に指定されています。また、第二竪坑櫓、第二竪坑巻揚機室は建造物として、国の重要文化財に指定されています。第二竪坑は、主に人員の昇降と排気を行う坑で、2基の昇降機が設けられています。当初は蒸気を動力としていましたが、後に電気に変わり、現存する電動モーターは昭和初期のものです。なお、竪坑自体は閉塞されています。

三池炭鉱宮原坑

三池炭鉱 万田坑
1902年に第一竪坑、1908年に第二竪坑が完成しました。また、これに合わせて機械室、選炭場、事務所などの施設が造られましたが、当時の煉瓦造りの建物や、外国産あるいは国産の機械類が、良好な状態で保存されています。第一竪坑口と第一竪坑跡、汽罐場跡、選炭場跡、坑内トロッコ軌道敷などの一連の工程を構成する施設群は国の史跡に指定されています。また、第二竪坑櫓、第二竪坑巻揚機室、倉庫及びポンプ室、安全灯室及び浴室、事務所、山ノ神祭祀施設は建造物として国の重要文化財に指定されています。

三池炭鉱万田坑

三池炭鉱 専用鉄道敷跡
石炭や資材の運搬のために敷設された専用鉄道で、1891年に七浦坑と大牟田川河口を結ぶ最初の区間が開通し、1905年に三池港まで延伸開通しました。設置当時に造成された切土・盛土の跡などはそのまま残っており、国の史跡に指定されています。1909年から1923年にかけて全線電化したほか、坑口や主要工場へと多くの支線が設けられ、最盛期には客車も運行されていました。現在その一部は三井化学の専用鉄道となり、原材料の運搬を担っています。

三池炭鉱専用鉄道敷路線図

三池炭鉱専用鉄道敷跡

三池港
三池炭鉱で産出された石炭を大型船に乗せて運搬するために建設された港で、1908年に竣工しました。干満の差が大きい有明海で大型船を航行させるため、汐待ちのために閘門で締め切った内港が設けられました。また、砂泥の侵入を防ぐために長い防砂堤が設置されました。港は、現在も重要港湾として使用されています。築港時に建てられた税関の建物も残っています。

三池港

三池港閘門

旧長崎税関三池支署

旧三角港(三角西港)
明治政府において産業開発と併せた港湾整備の一環として建設された港で、1887年に開港しました。オランダ人技師「ローウェンホルスト・ムルデル」の設計です。石積みの埠頭、道路、排水路、石橋などがそのまま残っており、明治期の港湾の中では日本で唯一完全な状態で現存しています。鉄道と併せて三角東港が整備されたため荷役を取って代わられ、早期に衰退したため当時の状態が残っています。埠頭などが建造物として国の重要文化財に指定され、旧三角海運倉庫、龍驤館、旧三角簡易裁判所、旧宇土郡役所が、国の登録有形文化財に登録されているほか、「三角浦の文化的景観」の名称で重要文化的景観として選定されています。なお、三池港整備以前の三池炭鉱の石炭積出港でもあり、1893年からの9年間、上海などに向けて石炭の輸出が行われました。

旧三角港(三角西港)

龍驤館

旧三角簡易裁判所

 

アクセス

三池港
(大牟田駅から三池港臨時展望台駐車場へタクシーで10分)
※大牟田駅より路線バス有り、但し便数等不便です。

三池炭鉱宮原坑・炭鉱専用鉄道敷跡
(大牟田駅から宮原坑駐車場へタクシーで10分)
※大牟田駅より路線バス有り、但し便数等不便です。

三池炭鉱万田坑
(荒尾駅から万田坑ステーションへタクシーで10分)
(荒尾駅から産交バス万田公園前下車、徒歩5分)

旧三角港(三角西港)
(熊本駅から三角西港へ産交バス「快速あまくさ号」で60分)
※JR三角駅からのアクセスも可能です。但し不便です。

三池炭鉱・三池港レンタサイクル
所要4時間モデルコース

大牟田観光プラザ(レンタサイクル)

石炭産業科学館(ガイダンス・トイレ)

旧三井港倶楽部(休憩・食事・トイレ)または三池港

宮原坑(仮設トイレ)

三池炭鉱専用鉄道敷跡(宮原坑付近)

大牟田観光プラザ

 

如何でしたでしょうか。交通の便はあまり良いとは言えませんが、次回紹介する【エリア8 八幡】とセットで見るのがお勧めです。産業近代化の流れが一気に掴めるので、時代を追って変遷を辿ることが出来ます。「必要は発明の母」と申しますが、正に日本は、必要な事を次々と実現してきたという事ですね。また、鉄道の建設においては、アメリカをけん制してイギリスに技術を求めるなどの外交手腕が当時の日本にあったとは驚きです。

 

バックナンバー

序 章:明治日本の産業革命遺産【序章】

第1回:    〃      【エリア1 萩】

第2回:    〃    【エリア2 鹿児島】

第3回:    〃     【エリア3韮山】

第4回:    〃     【エリア4 釜石】

第5回:    〃     【エリア5 佐賀】

第6回:    〃     【エリア6 長崎】

第7回:    〃     【エリア7 三池】



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