「オバマ大統領広島訪問」への想い



アメリカのオバマ大統領が、今月27日に現職のアメリカ大統領として初めて被爆地・広島を訪問することを決めました。これを受けて私なりの想いを掲載いたします。

私は、戦後世代なので戦争経験者の方にお叱りを受けるかもしれませんが、それを承知の上で掲載させていただきます。今回のオバマ大統領広島訪問について、謝罪が議論されることがありますが、もしその当時、あの原爆が無かったら戦争が終結していたかどうか疑問に思っています。本土決戦での1億総玉砕が当然のように国民の意識の中にあった時代です。
現在では、成熟した価値観で物事を分別できる国へと成長していると思います。どこの国とは申しませんが、何かあるたびに過去の謝罪を求めてくる近隣諸国との違いを国際社会にアピールするチャンスでもあります。今回、核爆弾を唯一使った国と使われた国の首脳が、被爆地広島の地に顔を揃えるわけですから、是非、広島平和記念公園で、日米平和宣言を国際社会に向けて発信しては如何だろうかと思います。

何故、私がこの記事を投稿する気になったのか綴らせていただきます。もう少しお付き合いください。
私は、北九州市戸畑区(旧戸畑市)で生まれました。終戦の年にはまだ生まれておりませんが、もしかしたら今この世に生まれていない可能性があるのです。
原爆は、広島と長崎に投下されました。実は、広島と小倉がターゲットであって、当日の気象条件等により長崎に変更されたのです。当初の予定では、小倉造兵廠(こくらぞうへいしょう)という大規模な兵器工場がターゲットでした。ここが爆心地になっていれば半径5㎞圏内の戸畑もタダでは済まなかったことでしょう。まして当時、私の父は戦車の整備兵として、この小倉造兵廠で働いていたと聞いています。今の人生があるのも、その時の幸運があったからです。あの時大きく歴史が変わったともいえるのです。もしあの時、長崎に原爆が投下されていなければ、私ではなく長崎でこの世に生を受けた人が大勢いたはずです。それを思うと、この世に生を受けられなかった人たちに申し訳なく感じています。戦争は人が引き起こす愚かな災害です。人の気持ち次第で防ぐことが出来る災害です。平和への願いを新たにしたいところです。

小倉造兵廠
小倉は明治時代から昭和20年まで、陸軍の部隊や兵器工場があった軍都でした。特に造兵廠と呼ばれていた兵器工場は現在の市役所から、木町まで広がるとても大きな工場でした。
そのため、小倉陸軍造兵廠は1945年(昭和20年)8月9日には原子爆弾の第一投下目標にされました。 しかし前日の八幡大空襲の煙と曇り空のため、造兵廠が確認できず、原子爆弾は長崎に投下されました。
現在、勝山公園の中には原爆犠牲者を悼んで作られた、長崎・平和の鐘があります。

小倉陸軍造兵廠の敷地

1923年(大正12年)、関東大震災によって東京・小石川にあった兵器工場が大被害を受け、1927年(昭和2年)に小倉へ造兵廠移転が決定し、 1933年(昭和8年)に小倉兵器製造所との合併、陸軍造兵廠小倉工廠が開設されました。
当時、この工場で何が作られるのかはまったく話題にならず、その後1940年(昭和15年)に小倉陸軍造兵廠と名前を変えました。
この兵器工場は、1945年(昭和20年)までの約12年間使われ、戦争も終わりごろになると学徒動員といって、大人だけでなく中学生や女学生も工場で働いていました。 1944年(昭和19年)からは「風船爆弾」という爆弾も作られていました。

今、世界各地で戦争や紛争が起きています。日米の首脳が広島の地で平和宣言を発信することは、大変大きな意味を持ちます。
出来るだけ多くの人にこの史実を伝えたいので、出来れば「シェア」をお願いします。


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